あなたの目の前に起こった出来事は選べない。
起こった出来事の後の行動は選べる。
人は、すぐ「嫌がる」。
あたかも、
既に起こった出来事を後から選べるがごとくの
「抵抗」と「反発」をする。
「何言ってるんだ」「そうじゃない」
「こんなの嫌だ」
「許せない」「認められない」
「認めたくない」
が先に走る。
自分の言い分
自分の気持ち
いつも、そこであなたの世界は止まる。
「嫌がり闘う」から、
あなたの「嫌がる」ものが、
そっくりそのままそこに留まり、
あなたの目の前は、
世界は、
「嫌なまま」だ。
だから後は、
あなたは「格闘」するだけだ。
それで、あなたが、
仮に乗り越えたと称しても、
解決したように見せても、
あなたが「嫌がる」は、そのままだ。
「受け容れていない」から、残ったままだ。
あなたは、抱えたままだ。
だから、あなたは、また繰り返す。
あなたの人生は、ずっと、
あなたが「嫌がる」がついて回る。
そして、また、あなたは「取り組む」(誤魔化す)。
力を行使し、乗り越えると称して、
「嫌がる」と闘う。
結局、「受け容れない」ままだ。
それで、あなたの住む世界はどうなった?
今迄の人生はどうだったか?
それでは、変わらない。
それでは、良くなる訳がない。
「あなたの目の前に起こった出来事は選べない。
起こった出来事の後の行動は選べる」
既に起こっているのだ。
抵抗と反発に何の意味があると言うのか?
「受け容れるのだ」
望む世界に変えたいなら受け容れてしまうのだ。
受け容れることで、実は良くなる。
受け容るから良くなる。
だから、とっとと受け容れるのだ。
嫌がっている暇はない。
瞬間の間もなく、
そのまま受け容れる。
まるで自動的なように。
「なるほど」
「ふ〜んそうなんだ〜」
「そうだね」
と。
抵抗などしない。
それが愚かなことは誰でも分かる。
「流れるがごとく」
順調になるだけだ。
大事なのは、抵抗と反発ではない。「エネルギーを止めない」ことだ。
受け容れれば、「結果は必ず完璧になる」
事態を好転させたかったら、
常に良い状態でいたかったら、
幸せにいたかったら、
抵抗せずそのまま受け容れてみればいい。
そこには、今迄のあなたを超越した世界がある。
「全てが順調な世界」というのは確かにある。
あなたは、そのことを知ることになる。