河合純也の言葉『称する』とは?
独特の語り口の中に、際立つ表現が見られる。
その一つに『称する』という言葉がある。
例えば、
良くなる
向上する
と称し、
「得る」
ことばかりに目を向けるのではなく、
自分を見つめる。と河合純也は言う。
同じ「語る」のでも、「騙る」と書いて「かたる」と読む。
『称す』には『騙る』という意味があったのだ。
「騙(かた)る」の意味は?
もっともらしく、巧みに、うまい事を言って騙(だま)す。
実は、『称する』には、そういう意味があるのだ。
もっと直接的に言えば「偽る」「偽善」ということ。
相手を騙(だま)す行為なのだ。
自分を変えず、固定させたままで、よく見せようとする。
化粧、と同じだ。化けて見せる、偽物と同じだ。
みんな、スッピンの顔を見られるのが怖いのか?
変えてるつもりが、本質的に、実は、何も変わってない。
人間はバカだ。
懲りずに、そんなことばかり繰り返して生きている。
なぜだろうか?
愛が欲しいんだな、きっと。
人間的な、あまりに人間らしいところだなって。
そう感じる。それでいいじゃないかって、言いたくなる。
「信念」と称した、思い込みや、制限。
信念、と称した、実は単なる「思い込み」
こんなものを抱えて生きている人間。
こんな不確かなものと同居して安定を求める人間。
そんなこと、承知してるのに、
思い込みを外せなくて苦しむ人間。
そんな人は、河合純也から
「制限を突破するんだ!」と言われても、
何かピンとこない。
「進化」と「破壊」
安定してくると「不安定感」が恋しくなる。
不思議だが、私の場合はその繰り返し。
この、癖、性分で、
どれだけ家族に迷惑をかけてきたのか?
いつも自由でいたい、
やりたいことだけ、していたい。
自由でありたい、と称して、
私は自分を見ないように、してきたのかもしれない。
逆に「不自由」な身に、なってしまったのか。
行動しているのに現実が変わらないのはなぜなんだ?
確かに、行動はしてきた。
動くほど、現実もめまぐるしく、確かに変わる。
時には、その勇気を賞賛された時もある。
確かに変わるのだが、また激変する。
不用意なことは、自分の想定外に変わった時だ。
しかし、闇雲な行動だけでは、本質から変わることは、ない。
自分を見つめ、自分を変えることが先。
そして、やる、実践、行動。それが順序。
頭や知識で、現実が変わったとでもいうのか?
違う。勘違い。
また同じ間違いを犯す。
なぜ、「私は間違った!」と素直になれないのだろうか?
自分で全部をコントロールしたがる人間。
支配欲の塊(かたまり)のような人間。
偉そうにしていたって、いずれいつか死ぬ。
生と死を繰り返して「進化」する。
それが人間の「魂」。
魂は生き続ける。生き通し。
魂 以外のものはすべて、宇宙の主人が持ち主。
変えれる、ということは、よく考えたらすごいことだ。
自分を変えれる自由が、確かに我々にはあるのだ。
でも、自分以外のものは、魂 以外のものは、
直接は変えられない。
宇宙の主人(あるじ)が持ち主だから。