Pocket

問題発見と問題解決。

自分の悩みって、何?
何が問題なのか?

自分が思い通りにならない、
という問題がある。

こういう場合、
思い通りにならない出来事、の中に
問題点を発見すれば、問題解決するのか?

それとも、
そういう問題を抱えた自分自身、の中に
問題点を発見すれば、問題解決するのか?

人は多くの場合、
出来事の中に問題点を発見しようとして
問題の本質を見誤る。

自分の外側に問題の原因を探しても問題解決しない。

出来事は自分の外にある。
問題を抱えているのは、実は、
外側ではなくて、内側。
つまり、自分自身の内側にある。

何か問題が起きたとき、
自分にとって問題だと思える
何か不都合な出来事が起きたとき、
実は、いつだって、
困る原因は自分が抱えているのだ。

フォーカスする問題点が間違っていたら、
その問題は、解決しようがないじゃないか。

と言うよりも、
みんな、自分を変えるつもりがないので、
問題を本気で解決しようとなんて、
思っていないのだ。

人は、問題解決されると困る生き物。

解決しようとなんて、思っていないのに、
もっともらしく、軽率に、
困っている振りをして、
他人に相談したりする。

人は多くの場合、
問題を解決したいなんて思っていない。
本気で解決したいなんて思っていない。

なぜなら、
解決しちゃうと
自分にとって不都合なことが起きるから。

その本人に責任が生まれるから。
責任を取りたくないから。

自分が動かなきゃならなくなるから。
自分が変わらないと、辻褄が合わなくなるから。

解決したら、解決したことによって、
それはそれで、また困ることが起きるから。

だから、そういう人にとっては、
何も解決せずに、
ただ自分の話を聞いてくれるだけの人が欲しいのだ。

何も解決せずに、聞いてくれる人が大事なんだ。
解決されたら、自分が困るから。

問題があることは、困ること。

しかし、
問題が解決するということは、
自分自身の変化を迫られることで、
これもまた困ること。

人は、どこまでも
自分に都合よく生きている生き物。

人は困った時、そうまでしても
自分を変えようとはしない生き物。

自分を変えずに、
自分以外の相手や環境を変えようとする。

だから、問題点を見ようとする
その視点、着眼点の本質が、
いつまでたっても変わらない。

これでは、
問題解決しないのは
当たり前のことなんだ。

問題解決しない本当の理由(わけ)。

自分を変えずに、
相手だけを変えようとしたって、
環境だけを変えようとしたって、

何も変わらないし、
問題解決にはつながらないのだ。

笑っちゃうかもしれないが、
これが実際によくあること。

人の話をただ聞くだけの人はモテる。

聞くだけで解決しない人はモテる。

人気があるから、
そういう人の周りには
人が大勢集まる。

相手が、
愚痴、
誰かの批判、
告げ口、
ときには情報操作のために。

あなたに相談しに来たら、
相手の言葉を受け止め過ぎる必要はない。

そこに自分の主観や意見を差し挟んで
相手とまともに向き合うと、
自分も傷つく。

そして相手も主観的になり過ぎる。

だから、そういう場合は、
ただ聞く。

人の話は最後までちゃんと聞く。

それだけでいい。でも、それが難しい。

人が話をしているときでさえも、自分を持ち出したくなる。

でも、ただ聞いてさえすれば、
相手にとって都合のいいだけの話だってことは
見えてくる。

聞いていてモゴモゴしたりする部分は
必ずしも真実ではないのだ。
聞き流してあげればいい。

人の話を聞くときは、
自分を捨てて聞く。

あなたが相手よりも先に、
代案や解決策を、言わない。

解決策は、
相手に言わせる。

人の話は、聞いてあげることが
問題解決に一番つながるから。

人は、
自分のために他者を必要とするし、
他者に必要とされる自分が、
自分なんだ。

人は、
人の悪いところ、ダメなところを
見つけるのは得意。

人の悪いところは見ずに、
良いところを見る。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村