身の程知らず。
「身の程知らず」
「分をわきまえろ」
等々、
世間にある言葉。
これらを智慧に繋げているか?
ただの戒めにしているだけか?
戒めでは智慧にはならい。
だから、あなたに力を与えない。
智慧にするのだ。
智慧は、あなたに力を与える。
「身の程知らず」
「分をわきまえろ」
これらを本当にフェアーに捉えているか?
「フェアー(正)」
フェアーでいよう。
アンフェアーは止めよう。
公平でいよう。
「身の程知らず」
「分をわきまえろ」
片側だけを捉えて戒めにしろと誰が言ったのか?
誰もそんなことを言っちゃいないはずだ。
人類の永遠の叡智は知っている。
「身の程知らず」
「分をわきまえろ」
永遠の叡智は、あなたに気づかせてくれる。
あなたの本当の(自分を)全て認めることを。
あなたが、それに気づくことを言っている。
「本当の」あなたとは?
「全て」だ。
即ち、あなたの最大の能力もだ。
本当の自分を認めるとは?
本当に自分を認証するとは?
解釈で「戒め」にして逃げていないか?
人は、「戒め」さえも、
「逃げ」の道具に繋げる。
勇気を持つことから逃げる言い訳にする。
自分の奥に在る可能性を
見るのが怖くて、
取るのが怖くて、
体(てい)良く解釈して終わりにしようとする。
「身の程を知る」
「分をわきまえる」
は、
自惚れでも戒めでもない。
自分をまっすぐ、真正見るだ。
そのまま、
「あなたの全て」をだ。
決して戒めではない。
アンフェアーは止めろ。
嘘をつかず、
自分に誤魔化さず、
自分の本当に持っている「全ての力」を、
逃げずに正直に認めることだ。
全部の本当のあなただ。
「身の程を知れ」
「分をわきまえろ」
永遠の叡智は、真の奥底から、
あなたに語りかけている。