騙される人、騙されない人
騙される人と騙されない人では、
話の聞き方が違う。
情報の捉え方が違う。
騙されない人は、
相手の説明になど一番の重要ポイントを置かない。
反対に、騙される人は、
相手の説明に意識を集中している。
最もらしい話かどうかを確認する。
「相手の説明に説得力があるか」に
意識を置く人は、
「これは、相手の所為(せい)になるか」
「これは、相手の責任になるか」
を確認している訳だ。
「責任を取ってもらう」ことにばかり忙しい。
「だから騙される」ということに気づかない。
そして、何度も騙される。
確かな話か
間違いがないか
相手に責任があるか、
「相手の責任になるかどうか」に、一生懸命注意を向けることを、
「確認」と思っているらしい。
だから、結局は上手く行かなくなる、
そして、また騙されることに気づかない。
「騙される人」の共通項は、
いつも
「相手の所為」だ。
「自分の責任」になっていないのだ。
確認をすると称して、
話の一番重要なところよりも相手の責任になるかどうか
を聞いている。
確実性を
相手の「説明」に求めるは、
相手に責任があるかどうかを確認しているだけで、
話の、情報の、
一番大事な核を判断することにはなっていない。
「騙されない人」は、
相手の説明になんか、
一番の重きを置かない。
常に、
「これは、自分が責任を持てる話か?」
「これは、自分に責任の持てる話か?」
に意識を置いていて、
「相手の所為になるか」
「相手の責任になるか」
なんて確認なんかしない。
「自分の責任でやれる話か」
「自分でどの程度責任を取れるか」
を確認しているのだ。
だから、相手の説明なんて二の次だ。
相手の説明の最もらしさなんてどうでもいい。
「自分が責任をとれるか」
「自分の責任の範疇か」
だけを気にして、話を聞く、情報を捉える。
だから、
「騙されない」のだ。