宇宙について。
宇宙とは何か?
宇宙の「宇」は「空間」
宇宙の「宙」は「時間」を意味する。
僕たちは、その真理の意味もわからずに、
ただ言葉の上だけで解ったつもりになって
次のフレーズを使う。
「時空を超えて行く」とは?
つまり、宇宙を超えて行く、ということになる。
人間の理解を超える時に、つい、
このフレーズを使ってしまうのだ。
時間、って何?
空間、って何?
多分、誰も解らないだろう。
もちろんこの僕も、解らない。
そして、この世に現れた大哲学者たちだって、
その全容を解明し理解できたものは
未だに誰もいないのだ。
例えば、時間の過ぎる感覚。
他人を待つ時の時間は、過ぎるのが遅く感じる。一方で、
自分が遅刻しそうな時、時間が過ぎるのを早く感じる。
子どもの頃は1年が過ぎるのが長く感じたものだ。一方で、
大人になると、あっと言う間に1年なんて過ぎてしまっている。
何かに集中していると短く感じ、
嫌なことや辛いことがあると長く感じる。
時計のように、時間は常に一定ではないのか?
ニュートン力学で計算する世界では、
時間は一定の速度で経過する。
理論的には、どんな1時間も等しく1時間なはずなのに、
感覚的には、長さが違う。
なぜなんだろう?
その問いに対して、アインシュタインは答えた。
重力による空間の歪みによって時間のスピードが変化すると。
彼がそう言い出した時、みんな驚いた。
量子力学の世界ではそうなるのだ。
アインシュタインの相対性理論が正しければ、
過去も現在も未来も同時に存在することになる。
ここ100年程度の物理学の進展による驚きよりも、
もっと驚くべき事実が存在する。
それは、科学的な証明を待つまでもなく、
人類の、人間の直観によって、
この事実というか、宇宙の法則を説いていたものがあったのだ。
驚異の直観に勝る哲学なし。
それは、仏教の教えだ。
科学はもちろん、さしたる道具もない時代に、
二千五百年も前から「刹那生滅」を説いてきた仏教哲学。
量子物理学の最先端は、仏教哲学の直感を
今、やっと証明したところだ。
そういう意味では、
ニーチェも
サルトルも
ハイデガーも、全く及ばない存在だ。
この事実を驚嘆せずにはいられない。
物質なるものは、存在しない?
物理学者のプランクという人が言った。
物質は最小単位になった時、つまり、
量子の状態になった時、物質なるものはもはや存在しないと。
ただ振動、
あるいは波のような性質のものが、
働きかけるように存在し、その場を支配しているのだと。
つまり、波動だと、そう言っているのだ。
マクロの世界で映る、美しい景色を前に、
俄かには信じがたい事実を突きつけられる。
僕らの目に映っている景色は
錯覚であって、存在しないのだと。
物質は存在しないのだと。
確かに、私、という自分が存在するからこそ、
全てを認識できる。
美しい景色を見て、美しいと感じることが、できる。
私が先か? 宇宙が先か?
意識の世界で言えば、私の方が先、と僕は考えている。
私が先に存在している、ということが認識できているからこそ、
自分から見た他のいかなる存在も認識できるのだと、
哲学として、僕はそう考えているからだ。
ある意味では、僕は実存主義、かもしれない。
そういう意味では、キルケゴールの影響を受けている。
しかし、だ。
自分が死んで、この世からいなくなった後も、
この世は続くのだ。
自分が存在していようがいまいが、宇宙は存在し続ける。
自分の消滅と同時に、この世は無くならない。
そこがとても不思議に感じる。
そのことを考えるだけでも、人生は生きるに値する。
自分とは何か?
時間とは何か?
空間とは何か?
人間とは何か?
宇宙とは何か?
人間は、とりわけこの私は、
何のために生まれてきたのか?
それらのことを知るために
生きることで経験し、学び、感性で感じ取るために、
生き続けていることだけは、確かなことだ。
だって、解らないのだし、知らないんだから。
成長のため? それも、確かにある。
楽しむため? それは、大いにある。
でも、不思議だらけで出来ているこの宇宙。
僕ら人間からしたら、矛盾や理解を超えて存在する宇宙。
まさに、人智を超えたものだ。
至る所が、なぜ? だらけだ。
なぜか? という問いは、実は、
そのままま、答えでもあるのだ。
なぜ? という問題が生じた時、
問題は、答えになる。
答えを学ぶために、問題は起きる。
「時間と空間」を、
あなたが、より直観的にシンプルに理解したいのなら、
ぜひ、お勧めしたい書籍がある。
実はこの本だが、
一度も読んだことのない人が、なぜか多くの批判をしている。
もちろん、中には良い批判もあるが、読んでからにしてもらいたい。
ハイデガーの著した「存在と時間」、ではない。
ソクラテス、プラトン、デカルトの本、でもない。
ショーペンハウアー、
キルケゴール、
エピクロス、
ヘーゲル、の本でもない。
もちろん、
ニーチェ、
サルトル、
ウィトゲンシュタイン、でもない。
僕のような考えることが好きで、頭でっかちで、
知ることに飢えているならば別であるが、、、。
小難しいことが苦手で面倒くさい。
直観を使ってサクッと解りたいのなら、
僕はこの本をお勧めする。
自分の経験や体験から感じた事実を基にして、
自分の頭で考えぬいたことを
自分の言葉で語っている本物の知性のように感じられるからだ。
世の中とネット上に無数に存在する、口だけで実践のない、
なんちゃってスピリチュアリストや、なんちゃって哲学者には、
紡ぎ出せない言葉が、その本に書かれているからだ。
ぜひ読んだ上で、大いに批判してもらえるのなら
著した本人も望むところだと思う。