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「死んだ方がマシだ、楽」 人は、そこまでして逃げたりする。

それほどまでして、自分を見ることを避けようとする。
本当の自分を認めないように、
あらゆることをしている場合が多い。
全く無意識な振りさえして。

自分を「気付いてなんかいない」と誤魔化してまでして、無意識を装う。

「死んだ方がマシだ」
「死ぬ気になれば、なんでも出来る」

この両者を分けるのは、
感謝があるか、ないかでしょうね。

死生観、生きる意味も
それが、感謝にどこまで繋がっているかで、人の取る行動は変わる。

人は、いくらでも理屈や理由を作り出せる。
だから、美しさの基準も様々に出来る。

やはり、頭で考えるだけの人になっているのか、
身体で考える(感じる)人なのかで、
人生の意味の感じ方が違う。

頭だけで考えるのでなく、
心と身体で考えるは、
「肚」が座る。

だから、覚悟が「決まる(出来る)」

肚が座るは、「潔い」 本来の武士道もこの「潔い」。

だから、いつも死を意識しながらも、
捨てばちや軽々しくでない、
生きる価値も重みも知っていた。

だから、本当に
「死ぬ気になれば何でも出来る」状態だったのでしょう。

究極の死ぬ気になればの、その武士道も
武士社会がなくなってから、
本来のものではなく、
軽々しくに命を掛けるだの
何のかんのと
命に何か意味付けし、
美化する人も多くなった。

生きる価値を
感じる。

シンプルになる。

そこだと思います。

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