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「知識社会」って、いったい、どんな社会なのか?

「知識」が価値を持つ社会ではなく、
「知識」が価値を失っていく社会なんだ。

「専門的な知識」を身につけただけの人は、
「求められる人」にはなれても
「活躍する人」にはなれない。

あなたは
知識まみれになり、
頭でっかちになり、
自縄自縛の人生を生きるために
生まれてきたのではない。

自分らしく生き、
自分の使命を果たし、
「活躍する人」であるために、生まれたのだ。

その違いは何か?

「言葉に表せない智慧」を
身につけているかの違いなんだ。

『我々は、語ることができるより、
多くのことを知ることができる』

これは哲学者、マイケル・ボランニーの言葉だ。

我々は、知っていることを
すべて言葉にすることはできない、ということ。

西洋思想でいう「暗黙知」ということ。
東洋思想で言い換えると、
言葉に語り得ない「智慧」ということ。
ことわざでは「沈黙は金」ということ。

「論理」の限界。人生の「袋小路」。行き止まり。

「論理」では割り切れない感覚。
割り切れないものを
無理に割り切ってはいけないんだ。

「論理」を使って割り切った瞬間に、
大切な「何か」を見失うような感覚。

そこを補うのが「智慧」の役割所なんだ。
「論理」だけでは立ち居行かない壁を
突き抜ける時に「智慧」が必要なんだ。

我々の前に「立ちはだかる壁」
その「壁」があるからこそ、
我々は成長できるんだ。

そして世の中にある数々の「矛盾」。
世の中の「矛盾」にこそ意味がある。

「矛盾」こそが、
世の中の発展の原動力となって行くんだ。

世間のあらゆる「矛盾」を
「統合」して乗り越えてしまう「智慧」

「論理」だけで人をぶった切る「切れ者」に
なるんじゃない。

抜きん出る人を目指すな。
自然に助けられて応援される人になるんだ。

魂のシンクロ。

シンクロナイズとは、ピタッと息があう、ということ。

人間を最後に立ち直らせるのは
「魂が共感できる」自然に感じ取れるものだけだ。
魂の感性で感じることが真実。
真実とは、そこに「愛」を感じられるもの。

「癖」と「性分」を捨てて、
優しい丸い心になるんだ。

自分には自分らしいライトが付いている。

そのライトを使って、照らせる人が居る。
そのライトを点灯して、
照らせばいいんだ。

丸い心とは、
真上から見ると、
丸い渦を描くが、
真横から見ると、
階段のように少しづつ上昇していく、
螺旋状。

丸い心は螺旋状。

人間は、人生を味わいながら、
螺旋状に成長していく。

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