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大事なのは、意識を変えること。

僕は考える。
僕らはみんな考える。

しかし、
考えるって一体、何?
考えたからって、それで何なの?
何か解ったとして、それで何なの?

考え方だけが変わるだけで、
意識は何も変わってないじゃないか。

思考は思考なだけ。
思考を変えただけで
解釈が変わるだけで
意識が変わるわけじゃない。

大事なのは、意識を変えること。
意識は魂に直結している。

自分のことばかり考えているくせに

相手のためだなんて
思ってもいないのに
相手を思いやっているかのように
振舞っている自分。

相手のためだなんて
言い聞かせている自分。

「考え方」だとか
「思考法」とか「マインドセット」なんて
所詮、自分の為じゃないか。
そう、自分の為なんだよ。

しかし、
「意識」を変えることは、違う。

意識を変えるということは
自分の為ではない。
相手の為を想ってする行為なんだ。

相手への「愛」がそこに在るか?

FOR YOU
相手の為だけにフォーカスすることなんだ。

たとえ今、もしそうじゃなかったとしても、
もし「自分が人に愛されている」としたら、
どんな自分を想像するだろうか?

意識を変えることは、
自分自身にフォーカスして
自分を変えようとすることではない。

自分は自分らしいままで
相手への思いやる気持ちを変えることだ。

自分への尊厳の気持ちを持った上で
相手への思いやりの気持ちを
徹底して持つこと。

表面的なことだけを変えて
相手をコントロールしようとすることとは
全く次元の違う行為なんだ。

「怖さ」があると「愛」を見失う。

意識を変えるときは、相手にエネルギーが向いている。

虚飾して仮面をかぶって、自分を守ろうとして、
自分を取り繕ってしまうことではない。

自分が「強さ」だと思っていたことは、
自分の深層に隠れた「怖さ」を誤魔化すための
自己顕示なんだ。

強がっている人ほど、
実は意識の深層に「怖れ」を持っている。

相手になめられたくない。
相手に嫌われたくない。
相手に自分の考えを否定されたくない。
相手に受け容れてもらえなかったら困る。

これらは、裏返せば全部、怖れがある証拠なんだ。

「怖れ」があると、人は、
自分を守ろうとして、相手を拒絶する。

自分を殺して、相手に無理やり合わせようとする。
威圧して、相手をコントロールしようとする。

自分が傷つかないようにと、
自分を偽ってでも、あらゆる手を打って出る。

こうして、ありのままの自分から、遠ざかり、
どんどん遠ざかって行く。

本音を言えない関係性。

誰とも信頼関係で繋がることができない状態。

そして、孤独になる。
様々な問題行動を起こす。

相手とのつながりを自ら拒否するから、
心が荒(すさ)んでしまい、次第に病んでいく。

「怖さ」は、「強さ」で克服することはできない。
「怖さ」を克服できるのは「愛」だけなんだ。

「自分を愛する」こととは?

意識を変えて
相手を十分に思いやれる人は
「自分を愛する」ことが十分にできている人。

「自分を愛する」とは、
利己的になることとは全く違う。

「自分という魂」に嘘をつかずに
生きていくということ。

自分には価値がない、なんて実は思いながら
掛け声だけ大きな声を出したって
無意味なんだ。

大事なのは意識を変えること。
それも、自分の内面の意識。
相手を変えることではない。
外側だけを変えることでは断じてない。

すべての現実は、
自分の内側が投影されたものとして映る。

今、目の前の現実だって、
自分の内側の意識が創り出したものなんだ。

大事なのは
こうして意識を変えること。
知識を増やして頭でっかちになることではない。

頭をいくら磨いたって、何も変わりはしない。

意識を変えると、
不思議と「感じ方」が変わるんだ。

毎日最低10回は「感動」したい。
感受性が微弱な人間にならないために。

だから、寝る前に、数えてでも
その日にあったことに「感謝」することが大事なんだ。

そうして純粋に感じる「感じ方」を
錆びつかせないようにする。

人は自分にフォーカスすると
怖れや不安を感じるんだ。

誰か大切な人や好きなことにフォーカスすると
愛を感じるんだ。

怖れと愛の感情は同時にその場にいることはできない。

怖れを感じた時、
怖れを消す方法はただ一つしかない。
それは「愛」を感じること。

人は愛がなければ生きてはいけない。

人はいつだって愛を求めている。
だからこそ「自分を愛する」ことが
すべての出発点になるんだ。

「愛」とは
人に良い影響を与えるエネルギー。
ポジティブなエネルギー。

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