御利益(ごりやく)が先か、お賽銭が先か?
何か良い事があったら、
先に御利益があったらお賽銭を入れるのか?
何も良い事がなくても、
先にお賽銭を入れるから御利益があるのか?
良いことが、あろうがなかろうが、
お賽銭入れる方が先。
感謝する方が先。
喜ぶのが先。
今この瞬間に感謝する。
今この瞬間に起きている出来事を味わう。
起きてしまった出来事にケチをつけない。
すべて受け容れる。
出来事に「愛」を感じて「感謝」し「喜ぶ」。
だから「御利益」と呼びたいような「奇跡」が起きる。
奇跡は勝手に起きるもの。
奇跡は起こすものではなく、
起こせるものでもなく、
勝手に起きるものなんだ。
起きなかったとしたら、
それは「感謝」の気持ちが足りてないのだ。
「喜ぶ」が足りてないからだ。
「愛」を感じてないからだ。
人生を味わう。
味わい方が足りないからだ。
出来事をろくに味わいもせずに
出来事に「抵抗」し「反発」する。
こうやってしまうと
エネルギーの流れを滞(とどこう)らせる。
せっかくの良い流れがピタッと「止まる」。
エネルギーの流れを止めてしまうとどうなるのか?
そう、何も変わらない現実が続く。
それは、エネルギーの流れが止まっているから。
現実の出来事に抵抗し、嫌がって反発し、
自分で止めてしまったから。