Pocket

指摘する人、自分を守っている気の人、

それは「自分が正しい人」だ。

そして「盲目な人」だ。


指摘をする人は、

「気づいている気」になっている。

気づいたのは気づいたのだろう。

ただ、そのことで「盲目」になっていることには気付かない。


盲目ではないのなら、

「片方の目」でしか見ていないことに気づいていない。


シンプルな真実。

人に、なぜひとつではなく、

ふたつの目があるのか?


「盲目」


両眼で見るのだ。

両眼で見れば分かる。


あなたの「正しい」は、

ひとつの目で見ている世界。

もしくは、「盲目」

あなたの気づきは、果たしてどうか?


何かを知ることと、知ったこと、

それと「正しい」は、

「何かを知り得る」ことと、

「正しくなる」は、別。


多くの人がすぐに勘違いする。

何かを知り得て、

自分が「正しい」になってしまっていることに気付かない。

「ひとつの目」「盲目」


「小さな世界」


確かに、あなたは、

あなたのその気づきに

「美しさ」を感じたのだろう。

しかし、

その美しさが「小さな世界」を生むためのものだとしたら、

それは、本当の気づきではない。

あなたの本質は、

「変わらないまま」


結局は、

「自分の殻の中のまま」での気づき。

「小さな世界」


大きな世界に出るのだ。

そこに大海があるのだ。

そこには、

「見たこともない怪物」も、

「得体の知れないもの」もいるだろう。

それでも、「大海」に出るのだ.


そこにこそ、真に

あなたの気づきの世界がある。



気づきが「正しい」人は、

そこから自分の世界を守る気になり、

人を分析し出す。

窮屈な世界を作り出すのが特徴だ。

どんどん窮屈にしていく。

気づきが限定を生んでいる。

自分の世界を守るつもりで、

自分の人生を「窮屈」にする。


いつになったら気づくとういのか?

いつまで続ける気なのか?

「小さな世界」