心配事があっても安心できる方法はあるのか?
人間という生き物は、
仮に心配事が一切なくなったとしても、
安心はできない、そういう存在だ。
心配事なんて、なくならない。
なくそうとしたって、なくならない。
なぜなら、意識が、気持ちが心配にフォーカスしているからだ。
心配事なんて、所詮、人間の頭が作り出したものに過ぎない。
僕が、あなたが、勝手に考え出したものじゃないか? その心配事なんて。
心配事を、この世から無くそうとしなくたって、いいのだ。
成長する為には逆に、心配事が、少しぐらいはあったほうがいい。
そんなのは放っておけばいい、心配事なんて。
自分で作り出しておきながら、
どうしたらなくなるのか? と考えていること自体、
非常に屈折した、おかしなことだ。
それこそ、論理的でありたい、という人であれば、
なおさら、矛盾していることになる。
そうならば、
あなたの人生から、心配事なんてないのだと、
決めてしまえば、心配事は果たしてなくなるのだろうか?
心配事がなくなったら、安心できるのだと考えているうちは、
心配事は、いつまでたってもなくならない。
安心できる時は永久に来ない。
では、どうしたら安心できるのだろうか?
そういう質問は、本当は、質問自体がそもそも無意味なのだが・・・。
何かを解決しようと行動するときに、
「どうしたら第一歩を踏み出せるのですか?」
こんな馬鹿げた事を相談しているようなものだ。
ここに、その問題を、一気に飛び越えて
超越して解決してしまう極意がある。
それは、「先に安心しちゃえ」ということ。
僕は、私は、自分は、なぜだか解らないが、
何かに、護(まも)られて生きているという不思議な感覚。
この感覚こそ、あなたが最も大事にすべきことではないか?
その感覚に気づき、自覚することは、
大いなる安心感に繋がれる一番の近道。
大いなる愛につながって一つになれるシンプルな自覚だ。
意識を、今にだけ置くこと。
今にだけ、集中すること。
過去を懐かしむのではない。
昔は良かったのに、そう思い出すあなたは、今に居ない。
過去の嫌な思い出を気に病むのではない。
あなたは、今にしか居ないのだ。
未来を案じる必要も、いらない。
未だ来ない時間、それを未来と言う。
あなたは、今にしか居ないのだ。
今に集中すると、過去も未来も、ない。
今の連続が、あなたの人生だ。
今に集中し、今を生きない限り、あなたの人生は、ないのと同じだ。
いつか、やろう、
いつか、生きよう、と思っていたって、
その、いつかは、永遠にこない。
いつかに期待し、いつかは上手く行く、そういういつかは、永遠にこない。
いつかを座して待つことは、もう、やめにしよう。
論理的であることで、自分で自分の人生を縛っていいのか?
最近は、論理だ、ロジックだ、ということが叫ばれている。
理由がないと相手を説得できないとか、
もっともらしいことに余念がない。
この、もっともらしさが一番のくせもの、人間を蝕み弱くする。
自分でもがき葛藤する生きざまの中に、
あなたは、あなたを発見する。
あなたが、紛れもないあなたであることは、
何にも代えがたい、あなたの人生を生きている紛れもない証拠だ。
他人に依存し、従属し、奴隷の如く、生きてはいけない。
あなたは、どこまで生きても、あなた以外にはなれない。
自分以外の何者かに、なる必要なんて、さらさらないのだ。
この世にたった一人しかいない、
あなたの人生を全うするだけでいいのだ。
生き方も、
考え方も、思想も、誰にも迎合せずに、
すべて、あなただけのオリジナルで生きるんだ。
葛藤して生きる中にこそ、紛れもないあなたが見つかる。
あなたは、自分の生き方で考え、
自分の内面から紡ぎだした言葉で語り、
自分で葛藤して考えなければ、嘘になる。
偽善者の面構えで、この先もずっと生きていくつもりか?
あなたは、どこかで苦しみ、そんな自分に耐えられなくなる。
面倒だからと楽をして、
葛藤することから逃げてはいけない。
人は、複雑で、俄かには自分の理解が及ばない、
小難しく、レトリックな概念や言葉に騙され、
そういうものほど、ありがたく感じてしまう。
そして、何かを発言したり主張する場合には、
必ず根拠がいるんだとか、論拠が必要だとか、叫ぶ。
自分を正当化するために、
どこからか見つけてきた理屈で、
さも真実であるかのように、語る。振る舞う。
あるいは、「恐怖」を与え
それに対する「安心」を示す手法を使って
人を貶める。
これこそ、典型的な、
人間をマインドコントロールする常套手段だ。
他人も自分をも、テクニックだとか、
そんな姑息な手段で騙し誤魔化すのは、
もういい加減やめたらどうだ。
騙されてもいけないし、誰かを騙してもいけない。
こういう輩に、騙されてはいけない。
騙されている自分に、一刻も早く気づかなければ
あなたは間違いを犯し続けることになる。
無意識にも、人を騙している自分であっていいのか?
そういう人に聞きたい。
根拠のない自信が存在する事を認めますか? と。
嬉しいことがない時、
嬉しいことが起きない限り、
ずっと暗い闇に居なければならないのですか? と。
そんなことは、全くないのだ。
僕らが人間として、
普通に感じる感性や直観の方が間違わない、ということを
実は誰でも本能的に知っているのだ。
嬉しいことが起きなくて困っているのなら・・・
こういう場合にも取って置きの極意がある。
それは、「先に喜んじゃえ」ということ。
同じ1万円というお金でも、
人と同じようにお金にも感情があるとしたら、
どうせなら、より喜んでくれる人のところに行って、
喜ばれたいと思うはずだ。
誰よりも、有難いと、
心から感謝してくれる人のところに、
お金だって行きたいと、そう思うに決まっている。
非論理的なことは認めないという、そういう人に聞きたい。
根拠や、もっともらしい理由や理屈がないと、
喜んだり、安心したり、笑ったりしちゃいけないのか?
そういうあなたは、完全に、頭の世界のどん突き、行き止まりだ。
今を素直に生きていれば、人は勝手に変容する。
在って当たり前のものを失ったり、
できて当然のことが、できなくなったり、
困難に直面したり、病魔におかされると、人は変容する。
そういう時に、人は俄かに素直になって、
それを、闇ではなく光を、幸せ感を、
感性で感じ取ることが、できるようになる。
どんなに何冊も本を読み、知識を身につけ頭を磨いたって、
人は実践を通して腑に落としたことしか身につかない。
どうせ邪魔にしかならない知識を増やすよりも、
実践の中からしか掴めない智慧を得ることの方が遥かに大事だ。
小さな幸せ感を、積み重ねて生きているだけでいい。
どんなに小さいことでも、
幸せ感がある、という喜びを感じる、その感覚を忘れてはいけない。
その小さなことを、幸せに感じることが、実感できるのだ。
小さくても、
少なくても、
自分に幸せ感が在るのが、実感として湧き上がってくる。
それが、どんなに小さくても、
感謝したい気持ちが、湧き上がってくる。
それが、嬉しさだ。それが本当の湧き上がる喜びだ。
そういう素直な魂が、誰の心の中にも存在する。
もし、そうでないと言うのなら、
それは、曇っていて、闇の中に居て、
それが、光が、見えない状態にあるだけだ。
人間は、哀し過ぎるときにだけ、泣くのではない。
嬉し過ぎるときにも、泣く。
悔し過ぎるときにも、泣く。
怒り心頭に発したときにだって泣くのだ。
喜怒哀楽という感情、
感受性がある限り、感極まって、泣くのだ。
しかし、ダンスしたり、踊ったりしているときには、
同時に泣け、と言われても、
なぜか、そうするのは難しい。
五感をフル稼働させ、カラダを動かし、前を向いて行動を開始する。
エネルギーを高める行動をとると、
人は、内面から自然に変容できるのだ。
人間には、
過去をいつまでも覚えている、
素晴らしい記憶力が備わっている。
でも、もう一方では逆に、
辛い体験をも忘れてしまう、
素晴らしい忘却力も備わっているのだ。
どちらか一方に偏り過ぎてはダメだ。
表を見る。同時に、裏も見る。
いつも両方を見る視点を持たないとダメだ。
そしてニュートラルな場所に居て、
バランスを保ってリラックスできる、
そういう自分を見失ってはいけないのだ。
喜びを増やしたいのなら・・・
自分にとって不都合なことも、嫌がらないことだ。
感情に振り回されないで、
いつでも落ち着いて、
リラックスした自分に戻せるように、意識する。
最近はどうも、
憂鬱な出来事が続いて起きて困っている、というのなら、
その事態を抜け出す極意がある。
それは、「先に笑っちゃえ」ということ。
そんなこと言ったって、笑えるわけがないだろ?
無理、というのなら、
落語を聴いたり、お笑いの漫才を見たりして、
ただ、そうしているだけでいい。
無理に、笑おうとしなくてもいいから、
笑える波動のあるところに、
自分を置いておくだけで構わない。
小さい変化から始まって、
少しづつ、少しづつ、変化し、
ついに、気持ちが大きく変容する瞬間がやってくる。
エネルギーが上がる、高波動な場所に自分を置く。
自分を信じ、時間を気にせずに回復を待つ。
自分の復活を信じてさえいれば、
それでいいのだ。
信じてさえいれば、
人間は、いつだって復活できるのだ。
分析なんか、するな。
考えれば考えるほど、おかしくなる。
根拠なんか、探さなくたって、復活できる。
大丈夫。
何も心配はいらない。
先案じも、取り越し苦労も、何もいらない。
そんなに上手く行くものなのか?
それは、あなた次第。
自分次第。自由自在。
自分で決められるのだ。
頼りない自分を復活させるのは、
自分しかいない。
自分で自分を信頼し切る。
誰かに頼りたい時こそ、
自信を持てない時こそ、
自分を頼るのだ。
自己信頼に勝る哲学なんて、ない。
概念や言葉に、騙されて生きてはいけない。
自分の中に在る、生きる力を信じろ。
頭に頼ろうとするな。
バカになれ!
バカでも安心していい。
どんな困難に遭遇しても、
難有るからこそ、有難いという気持ちを忘れてはいけない。
有難い世界から逃亡してはいけない。
逃げないで、受け止めて、
今の自分の有りっ丈の力で
挑戦することが、生きるということ。
在るものは、在る。
起こるものは、起きる。
在るものを無いものにしたり、
起こるべくして起きることを起こらないようにすることは、
人間には出来ない。神様にも出来ない。
逃げずに受けとめて、
自分を信じて生きれば
勝手に解決している。
暇を持て余し、頭で考えてたら、狂う。
今を受け止めて、顔を上げ、前を向いて生きろ。
生きるということは、今しかない。
今を生きるから、感動しまくって生きれる。
今を味あわずして、一体どこに痛快な人生があるというのか?
今日一日、今日が楽しく喜べる生き方をしたい。
今日の中でも、今が一番楽しく喜べたら、最高の人生じゃないだろうか。